★Facebookページ★
【世界一周】ボクの地球の歩き方【ブログ】
上をクリックして「いいね!」すると最新記事をお知らせします!

★Twitter★
https://twitter.com/hiroaki1002
ツイッターでも記事の更新情報を公開しています!

★2017年4月25日に帰国しました!★

2017年4月15日土曜日

チリ 3【海外の日本食レストランで働いて感じたこと】

ーーーーーーーーーー
【現在地:メキシコ/カンクン】
この旅、最後となる国メキシコにやってきたわけですが、飛行機で隣のカップルがこっちが恥ずかしくなるくらいイチャイチャちゅっちゅしてて、心の中で彼らの存在を消しました(笑)
が、どうしても視界に入ってくるんですよね。
もはや羨ましいを通り越して呆れてしまったしげさんです。

今日もポチッと。応援ありがとうございます! 

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ーーーーーーーーーー

2016年10月6日(木)〜2017年1月14日(土)




今日は南米チリ、サンティアゴの日本食レストランで働いた感想を赤裸々に告白します。
本日のブログは長めです。
忘備録がてら書いているので、暇な人は読んでみてください(笑)




ことを遡ればオーストラリア。



オーストラリアにはワーキングホリデーで滞在していて、食の生産に関わる仕事(農場で種や苗木を植えたり収穫作業やったり)をしばらくやっていました。






でも、ファーム生活だけでは物足りず、実はもう一つ、チャレンジしたいことがありましした。
それは日本食レストランで働くこと



いろんな国を旅している中で、海外の日本食レストランにも興味が出始めて、



・日本と異なる条件下でどれだけのパフォーマンスが出せるのか
・どれだけのお客さんが入っているのか
・日本食がブームというが果たしてどれほどまで浸透しているのか
・フードの価格帯や人件費にいくらかかっているのか
・どういう風にお店をマネージメントしているのか



などなど、働くことでちょっとでも参考になることがあれば良いなって思ってたんです。



普段はおちゃらけてる記事からは想像できないくらい意外と真面目でしょ(笑)



ファーム生活の後、ローカルのレストランの仕事(いわゆるオーストラリア人と一緒の働いて正規の給料をもらえる)を探していたんですけど、何軒あたっても返事は来ませんでした。



で、そんな時にやってきたのが虫歯
治療費が高いということもあり、これはもうオーストラリアではやっていけないなと判断。
オーストラリアのワーホリ生活は残り3ヶ月残っていたにもかかわらず、虫歯で強制終了となり、姉の友人に治療してもらうべく、南米ブラジルに飛びました。



無事に虫歯を治療してもらって、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチンと回って、やっぱり日本食レストランで働いてみたいという思いが強く残っていて、あの時やり残したことをこの旅の中でやらなかったら絶対に後悔すると思い再び仕事探しを始めました。



アルゼンチンのブエノスアイレスでは1213軒ほど回ったこともありました。
  


結果的に全滅で、どこも人がいっぱいだったり、就労ビザを持ってないから雇えないと言われたり、雇えたとしても期間が短いから今回はごめんねって断られたり。



さすがに1213軒回って全滅したのは精神的にしんどかったけど、気持ちを切り替えて次はチリの首都サンティアゴで探すことに。



何軒か日本食レストランはあるので、ピックアップして初っ端。
お昼の営業が終わったころ、「金太郎」にアポイントもなしで面接に行きました。
オーナーに僕の食に対する熱い(?)思いをお話します。



すると、自分でも驚いたんですが、あがたいことに働かせていただけることに!
人は足りてるからお給料はでないけど、その代わりに寝る場所と食事を提供していただくことになりました。
こちらとしては「経験」としてやりたいので、その条件でも問題なく快諾。


研修期間は3ヶ月。
帰国予定日は半年後の4月。
1年間延長した海外旅行保険が切れるのもその頃で、それで一旦旅を終わらせると決めていました。
半年のうち、3ヶ月はレストランでの研修、もう3ヶ月はまだまだ行きたい国、見てみたい景色があるし、おいしいローカルフードを食べたいから旅の期間にしよう!



そういうことで、早速だけど、その日の夜から働き始めることに!
もちろんありがたいことなんですが、展開が早すぎでまだ心の準備ができていなかった当時の心境(笑)
ここからは店の内部事情に関わることなので詳しくは載せられないけど、チリの日本食レストランでどんな風にして働いていのかをまとめたいと思います。



※金太郎は2017年3月末をもって、閉店しました。



さて、ディナーから仕事が始まりました。
かなりお客さんが入っていることにまず衝撃を受けました。




金太郎、実はオープンしてから23、今のオーナーの代になって17年間も続いています。
地球の歩き方にも載っているし、日本人の方が多いのかなと思っていたけど、実は9.9割は現地の人
9.9割はさすがに盛ったかもしれないけど、でも日本人のお客さんはたま~にくるかなってくらい。
もちろん常連客も多くて、仕事に慣れるにつれ、よく来るお客さんの顔や特徴を覚えたりしました。



出してる料理自体も日本食のそれとほとんど一緒で、クオリティはなかなか高い方に入るんじゃないかな。
もちろん、現地の人の好みに合わせている部分はありましたが(濃い目の味付けだったり、丼ものの卵は半熟じゃなくてしっかり火を通すなど)。
でも、テーブルを見ていると、ほとんどのお客さんが残さずに食べるし、これだけ現地の人に日本食が受け入れられているっていうのは働かないとわからない部分でもありました。





職場の先輩はチリ人やペルー人。
ペルーからは出稼ぎのためにチリにやって来る人も多いようで、彼らと一緒に働いてみて、みんな喋りながら仕事するし、仕事がマイペースだったり、料理の提供の仕方とかも雑な部分はあるけど、仕事自体はきちんとこなしているように思えました。
そして何より、みんな明るくて、何もできない僕のことをいつも気にかけてくれるし、優しい人ばかりでした。



そういうところは明らかに国民性の違い。
彼らと一緒に仕事をしていると、だんだんと日本で働いていた時のあの緊張しっぱな感じや、切羽詰まった息苦しい感じがバカらしくも思えてきます。



ちなみにチリのレストランで勤務している人の平均的な月収ってどれくらいだと思いますか?
あくまで一例なんですが、



約30万チリペソ
現在のレートで、5万円程度



これに加えて、チリではチップの習慣がある(飲食代の10%)ので、チップを含めると15万円程度でしょうか。



まぁ物価もそんなに安い国ではないし、レストランで働いてチップなしで生計を立てるのはかなり厳しいでしょうね、、、



話を元に戻します。



スペイン語が一切わからない状態でレストランで働くとか、仕事なめてるの?って話ですが、もうそれこそ1ヶ月目は必死でした。
テーブル番号、備品用語、接客用語、スタッフとのコミュニケーション、、、



何か聞かれても、何を聞かれているかさえもわからない状態。
何を聞かれているのかわかったとしても、なんと答えれば良いのか言葉もでてこない。
それに慣れない環境で突然言われると頭が真っ白になる。
本当に悔しい日々の連続でした。



そして、まだまだ接客、というかホールの仕事の感が取り戻せない。


基本的なことはできるけど、全体を見ることはできないし、誰がどういう動きをしてて、今何をすべきで、どのお客さんがどんな状況で、テーブルの上には何が乗っててってところも把握できないし、なんせ言葉がどうしようもない。


仕事が始まる前や、休憩時間はカフェに行ったり、家に引きこもって勉強したり。
まぁ必死だったとはいっても体力を削って自分を追い込むようなやり方はしてなかったから毎日フレッシュな感じで取り組んでいました。



初めはオーダーを取ることすらできなかった僕ですが、それでも頑張ろう!と、支えになったのはお客さんでした。
お客さんのテーブルに料理持っていくと、男女関係なしにどのお客さんも笑顔で「グラシアス(ありがとう)」って言ってくれます。
チリの人たちは人懐っこくてよく話す人が多いし、笑顔が素敵で細かいことでも毎度「グラシアス」って言うんです。



そんなお客さんの中には僕のことが気になって、



「チリにはどれくらいいるの?」
「なんでチリにきたの?」
「チリは好き?」



などと質問してくれる方もいます。
常連さんも多いし、一見さんでも多分雰囲気でわかるんでしょうね。
他にもやらないといけない仕事はあるけど、ガツガツスペイン語で聞いて来るからもう頭真っ白(笑)
でも、おかげてほんの少しだけスペイン語がわかるようになってきました。
3ヶ月経った今でも文章を作って答えることはできませんが、、、(笑)



正直なところ、サンティアゴで働き始めて、日本人を接客するよりも気持ちがいいなぁって思う自分がいることに気付きました。
日本人のお客さんも団体で来たりして、それはそれでやり易さも、やりにくさもあったりして、気を使わないと行けないから大変。



そう、海外で日本食レストランをやるということはプレッシャーでもあるのかなと思います。
日本食がブームな今、海外にはここ数年でたくさんの日本食レストランがオープンしていて現地の人で賑わっているそうですが、一番緊張するのは日本人が食べにきた時。



確実に比較されますからね、日本のオリジナルのものと。
たまにやって来る日本人のお客さん、美味しいとは言ってくれても日本だともっとこうなのにね~って物言いたげな表情は見て取れることもあります。



もうそれは海外で出店することのある意味リスクでもあり、必ずまとわりついて来るものであり、こればっかりはどうしようもない。
でも僕がここで学んだことは、どう工夫してオリジナルを、あるいはオリジナルに近いものを提供するかということ。



こっちとしても、海外で日本食をやるからには日本と同じものを食べていただきたいし、本物を知ってほしいから、生半可なものは出したくない。



しかし、「レストランを経営する」ということは「人を雇い、お給料を支払い、自らも収入を得る」ということであって、経営者とお客さんの間に溝があっては店も続かない



大事なことはどこをどういう風に工夫するかと言うこと。
その国の人や味の傾向、お客さんの反応を見ながらアレンジした方がいいところを見極める。



もちろん、そのさじ加減は難しいんでしょうけどね、、、
仕事をしながら毎日そんなことを考えていました。



そして働き始めて数日、僕の仕事に対する姿勢にオーナーが配慮して、チップを分けていただくことになりました。
生まれて初めてもらうチップ。
嬉しいような、申し訳ないようななんとも言えない複雑な気持ちでした。
でも、これが今の僕に対する評価なんだと思って、ありがたく頂戴することに。



でも、もっと頑張らなきゃ!って思う気持ちとは裏腹に、たくさんのミスもおかしました。



忙しい時は早口でまくしたてられるし、伝えたいことはたくさんあるのに言えないこのもどかしさ。
瞬時に判断しないといけない場面とか、言葉が出なくて、「あ~もうっ!!!」ってなる。
ちゃんと説明できないから自分の責任ではないことも自分のせいにされて、何も言えない。
スペイン語が喋れればもっと効率的に動けるのに、、、、



ある日の金曜日。
店内の60席が回転と同時に埋まる。
料理が上がり、お客さんに呼ばれ、動線は塞がれ、ドリンクも作らなきゃいけないし、オーダーをしたい客は店員を待ってる。
あれもこれもやらないといけない状況の中、思うように動けなくて悔しくて泣きそうになることもありました。



それでも、お客さんが辛抱強くまってくれたり、スタッフが機転を利かせて僕のことをフォローしてくれたおかげで、踏ん張ることができた。



なんて素敵な環境で働かせていただいているんだろう。
もちろん言葉や文化の違いから自分に、あるいは相手に対して血がのぼることもあったけど、それはそれで自分の中で消化したり、郷に入っては郷に従えってことで、まずは今、自分にできること、求められていることはなんなのか、この最高な環境を最大限自分の物にするためにはどうしたらいいのかということを考えるようにしていました。



そして僕はやっぱり食べ物に弱い性格らしく、ペルー出身の料理長が作る賄いが大好きで、それを楽しみに日々頑張っていた気がします。






この3ヶ月、僕の人生においてものすごく貴重な期間になりました。
海外の日本食レストランで働くという目的を達成し、普通に旅をしているだけでは得ることのできない経験をさせていただきました。
オーナーや職場のスタッフには感謝してもしきれません。
どこの馬の骨とも知れない26歳を拾っていただいて、精神的にも思考的にも一回り大きくなった僕は将来的に必ず何か成果を出すんだ!と心に決めて3ヶ月の研修を終えるのでした。


ということで以上!
長くなりましたが、「海外の日本食レストランで働いて感じたこと」でした!
次回はお休みの日には何をしてたのかざっくり紹介したいと思いますb



※上記のことはあくまで個人的な経験則によるもので、書いてあることが全てではありません。違う国、都市、あるいは同じサンティアゴでも違う日本食レストランで働いたら異なる感情を抱いたかもしれませんので悪しからず、、、



最後まで読んでくださった方!
「お疲れさん!」のクリックお願いします♪


にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
上のリンクをクリックすると他の方の世界一周ブログも読めますよ〜
ランキングに反映されるため、気が向いたら1日1回、ポチッと応援よろしくお願いします^^b


0 件のコメント:

コメントを投稿

すべてのコメントにお返事させていただきます!
モチベーションも上がるので、皆さんのコメントをお待ちしています!